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October 31, 2008

新シリーズ予告!

皆さん、今晩は。

ひっそりと運営しているこのブログですが、それでも少しでも多くのリピーターを獲得したいという思いはあります。

「誰も読んでいないけれど、まあいいや」と考えて執筆し続ける人は少ないでしょう。

で、固定客獲得の為に考えたシリーズが「筆殺!飯事人」、そしてその後釜の「世泣き爺」でしたが、どうもパッとしません。アクセス解析を見ると、殆ど他の項目が読まれており、シリーズとしては無意味。
ただ、時折読まれている項目もあるので、これはこれで残しておこうと思います。

一方で、より固定客を増やす為の企画として、「今月の~」シリーズを来月より始めようと思います。
カテゴリーとしては「映画」と「音楽」。主に『20世紀BOX』であまり採り上げていない作品等の補完です。
他にも補完すべき項目は多々ありますが、あまり増やすとそれに縛られて、「徒然BOX」のコンセプトから外れてしまうので、まあこんなところでご容赦下さい。

より多くの方がこれらのシリーズを楽しみに、拙ブログにご来訪して頂ける様になれば、幸いです。

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October 27, 2008

三浦皇成騎手

JRAにおいて1987年に武豊(1969~)騎手が記録した新人騎手最多勝利69勝。
この「誰も超えられない」と言われた記録が、遂に破られました。

快挙を達成したのは美浦の三浦皇成(1989~)騎手。名前が凄いですねぇ。まるで漫画やアニメ、ゲームのキャラクターみたいです。

何れにせよ、まだ2か月余を残しての快挙。騎乗数も既に武騎手が一年目に記録した554鞍を上回っており、12月終了の時点で何処迄記録を伸ばせるのか、興味が尽きないです。

薩摩藩士の家系で、競馬ファンなら知らぬ者はない競馬一族出身の武騎手に対し、ごく普通の家庭出身の三浦騎手。
驚くべきは、親から英才教育を施された訳でもないのに、幼少時より騎手になる事を目標に研鑽を積んできたという点です。
うん、これは矢張り並の人ではないですね。

武騎手が幾ら凄いとはいえ、矢張り神様ではなく、人間ですから、永遠に騎手を続ける訳にはいきません。
三浦騎手には是非武騎手が引退した後の競馬界を担っていく存在感を確立して欲しいですね。
それにはGⅠ戦線で活躍する事です。
因みに武騎手のGⅠ初勝利はデビューの翌1988年、菊花賞。スーパークリークに騎乗してのものでした。

名馬が名騎手を育て、名騎手が名馬を育てるといいますが、三浦騎手にもそういう馬と巡りあって欲しいですね。

後、今回の快挙に関しては、調教師や馬主も称賛せねばなりません。
馬主にしてみれば、訳の分からない新人に愛馬を委ねるよりも、出来れば武騎手みたいな腕前を信頼出来る人に乗って欲しいでしょうから。
従って、愛弟子の騎乗予定を確保する為に、河野調教師がした努力というのも相当なものだったと思います。
逆に言えば、三浦騎手には、師匠や馬主達が「俺がお前を育ててやる」という気にさせるものがあるという事でもあるのでしょう。

慢心する事なく、偉大なる武豊騎手を目標に、日々精進を重ねて欲しいですね。

今後も三浦騎手には注目していきたいと思います。

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October 24, 2008

アイドルの変遷

昨日は公休日だったので、朝フジTVの『とくダネ!』を何となく観ていたら、石川ひとみ(1959~)がゲストで出演、荒井由実作詞・作曲の『まちぶせ』を披露しました。

当時の映像がとても懐かしかったですね。黒髪で、お姫様みたいな衣装で、この時代のアイドルの典型です。

昔はアイドルと言えば、一般人とは違う特別な存在。
「アイドルはトイレにも行かない」なんてのを信じる人もいた位でした。

だから、外見は清純で、メルヒェンチック。
こんな格好の娘なんて、街にはいない、といった感じでした。

要するに嘗てのアイドルは偶像。「お人形さん」みたいな浮世離れした娘が多かった訳です。

今のアイドルがこんな格好をしたら、「ぶりっこ」とか言われて、散々やっつけられるでしょうね。

今は親しみ易さなどキャラクターを武器にしているケースが少なくなく、街でひょっこり会いそうなタイプへとシフトしています。茶髪や金髪も、昔は不良のするものだと言われていましたが、今では当たり前になりました。

その代わり、今回の石川ひとみみたいな可愛さは今のアイドルにはないものですから、懐かしさと同時に、時代を語る貴重な記録だと思いました。

まあ、どうでもいいと言えばどうでもいい事ですけれどね。

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October 20, 2008

川越まつり

18日と19日、我が地元・川越市にて名物の川越まつりが行われました。

川越まつりは正式には川越氷川祭といって、川越氷川神社の祭礼として1648年、当時藩主だった老中の”知恵伊豆”こと松平伊豆守信綱によって始められ、今では関東三大祭の一つと言われる賑わいを見せ、毎年100万人以上が訪れるそうです。2005年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

今年で360周年を迎える伝統の祭。主役は15台(多い年は29台)前後の山車とそれに乗る囃子連です。その光景は本当に壮観ですよ。

と言いつつ、私は仕事で行けませんでしたが。実は最後に遊びに行ったのが高校の時ですから、もう20年以上も行っていません。地元なのに……。

でも、これでもかと軒を連ねる出店や山車は一度観たら忘れられるものではありません。

行きたかったなぁ……。

その内行ければいいなぁ……。

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October 17, 2008

シルク・ドゥ・ソレイユ

不況により全国各地でテーマパークの閉鎖が相次ぐ中、不動の人気を誇る東京ディズニーランドや東京ディズニーシーを抱える東京ディズニーリゾート。

その東京ディズニーリゾートが新たな大型企画として打ち出したのが、サーカスを基調とした新感覚エンターテインメント集団シルク・ドゥ・ソレイユです。
公演はレジデント・ショー「ZED」というそうで、総事業費約140億円、客席2170の専用劇場にて行われるらしいですね。

先日TVで運営側の苦労などが放映されていましたが、最初は「何でディズニーがこんなショーを?」と思って観ていた私も、何時の間にか応援する気になっていました。

米国ではブロードウェイやラスベガスなどでショー・ビジネスの世界は知名度も人気も高く、既に成熟していますが、日本ではまだまだ発展途上です。

周知の様に、東京ディズニーリゾートは本家・米国を模範としつつ、日本独自にカスタマイズしてきました。
従って、本家・米国では広く普及しているショー・ビジネスの世界に足を踏み入れるのは、或意味当然の流れであったと言えましょう。

10年のロングランを目論む東京ディズニーリゾートにしてみれば、まだ船出したばかりの段階ですが、音楽においては、コンサートにはCDにはない格別の雰囲気が味わえる事は多くの人が知っています。

映画やTVでは味わえない生のエンターテインメントの魅力をシルク・ドゥ・ソレイユが広めてくれれば、と思います。

勿論アーティスト達だけでなく、観客の事を痒いところに手が届く位配慮している運営側も含めて、日本におけるショー・ビジネスの大衆的普及に大きく貢献する事になればいいですね。

かく言う私はまだ観に行っていないのですが、必ず観ようと思います。

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October 14, 2008

世泣き爺~イソップ寓話編「熊と旅人」

久し振りじゃのう、皆の衆。

ワシじゃよ、ワシ。世泣き爺じゃよ。

……え、覚えていない?……まあ、いいか。


今晩は『イソップ寓話』の「熊と旅人」についてじゃ。

物語は2人の男が旅の途中で、熊にバッタリ遭遇してしまうんじゃ。
一人は直ぐに大木によじ登り、難を逃れたが、もう一人は逃げ遅れて、仕方なく死んだフリ。
熊は倒れている男の耳元に何事か囁き、去っていく。
木の上で震えつつこの様子を見ていた男は、「熊は君に何を言っていたんだい?」と訊いたんじゃ。
すると、死んだフリをしていた男、「危ない時に友人を見捨て、自分だけ助かろうとする薄情な相手とは別れろ」。

この教訓は友情を大切にし、自分だけいい目を見ようとするな、という事じゃ。
これは口で言うのは簡単だが、実際には凄く難しい事じゃのう。
危険な目に遭遇した時に、助かりたいというのは或意味人間の本能じゃからなあ。
これが愛する異性だったり、我が子だったりする場合は、咄嗟に本能で守ろうとする人もいるじゃろうが、友人というのがポイントじゃな。
日頃どの程度の付き合いをしているかによって、咄嗟に取る行動に違いが出るという事じゃ。
逆に言えば、互いに真の友であると心から共感し合うものがあるならば、若しかすると木に登った男も死んだフリをした男を助けようとしたかも知れぬ。

要するに、何時も一緒にいて、表層的な楽しみばかりを共有して、それで互いに親友だと勘違いしていても、いざという時に尻込みするのでは、真の友に非ず、日頃は疎遠でも、互いに能力や人間性を認め合い、いざという時に力になれるのが真の友という事じゃ。

後、今回この寓話を採り上げたのは、此処数年この時期に熊が出没するケースが少なくないからじゃ。
但し、この寓話の様に、「死んだフリ」はNGらしい。
特に良策はないんじゃが、熊に背中を見せて逃げるのも駄目らしいんじゃ。
若し遭遇してしまったら、熊から視線を放さない様にして少しずつ後ずさりしてその場を離れるのがいいと言われておるが、こういうのって口で言うのは簡単でも、実際には難しいからのう。
なるべく遭遇しない様にする為には鈴など音の出る物を身に付けて歩く事じゃと言われておるが、何れにしてもクマったものじゃ(失敬)。

まあ、山だけでなく、山に近い人里等においても、熊に遭遇した時の心構えを忘れずにしておくしかないのう。何も考えておらず、いきなり遭遇するよりはましじゃろうから。

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October 10, 2008

緒形拳氏追悼

日本を代表する名優・緒形拳氏が亡くなりました。享年71。

私の中で彼の存在がインプットされたのは1978年のNHKの大河ドラマ『黄金の日日』における豊臣秀吉役でした。彼は大河ドラマにおいては1965年の『太閤記』で既に秀吉役を演じていましたが、この作品や翌年の『源義経』の武蔵坊弁慶役を演じた時は私はまだ生まれていませんでしたし、私が生まれた後に放映された『新・平家物語』や『風と雲と虹と』も彼の印象は残っていません。民放で大ヒットした必殺シリーズ第一弾『必殺仕掛人』の藤枝梅安役も(これは後に再放送を観ました)。

何れにせよ、『黄金の日日』の緒形拳氏の演技は今尚印象に残っています。木下藤吉郎時代の気さくで一寸軽い人柄も、太閤となってからの為政者としての悩みもよく出ていたと思います。

その後、1983年に今村昌平監督の映画『楢山節考』に主演し、国際的にも認められた彼は、海外の映画にも何本か出演しています。

1986年にはNHKの『大黄河』のナレーションが好評を博し、その他数多くの映画やドラマで明るく軽い役から渋く重い役迄幅広い演技を見せてくれました。いい役者というのはその人にしかない味というものがありますが、緒形拳氏には正しくそれがありましたね。

芸名の”おがた けん”は本当は”おがた こぶし”で、世間には”おがた けん”が浸透しているけれども、私は”おがた こぶし”だと最後迄語っていたのも有名な逸話ですね。

多くの映画やドラマで我々に感動を与えて下さった事を感謝すると共に、慎んでご冥福をお祈り致します。

それにしても、最近追悼や引退に関する記事をやたらと書いている様な気が……。

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October 07, 2008

有~無!

今晩は時間がないので、手短に。

大阪の個室ビデオ店放火事件で多くの人が犠牲になりました。
犯人は最近の一連の無差別殺人事件の犯人同様、「生きているのが厭になった」と嘯いているらしいです。
で、自分は「怖くなった」とさっさと逃げ出しています。何なんですかねぇ。

犠牲者の中には住所など身元を特定出来る物を所持しておらず、遺体の引き取り手がいないそうです。切ないですねぇ。これは決して他人事ではありませんよ。今の世の中、何時失業してもおかしくはないですから。

後、火災が発生した際の構造上の欠陥もネットカフェや個室ビデオ等簡易宿泊施設のみの問題に非ず、多くの雑居ビルなどにも言える事です。恐らく多くは消防が監査に入る時だけ、避難経路を確保している様に見せかけているだけですから。

何よりこういう無差別に他人を巻き込むタイプの犯罪が増加している事が許せないし、怖いですね。
何時何処で自分が巻き込まれるか、分かりませんから。

矢張り、こういう事件を起こした人間は精神鑑定とか裁判とか抜きで、問答無用で即刻公開処刑にするしかないんじゃないでしょうか。
それだけ性質の悪い超重罪だと思います。

後、世を恨み、生きる意欲を失っている、即ち予備軍の人達には、現実逃避せず、前向きな気持ちで、生きる為の努力を惜しまないで欲しいですね。自分だけが辛く苦しいのではない、多くの人が様々な生きる為の悩みを抱えつつも、それを克服せんと頑張っている事を忘れてはいけません。
現在の結果には必ず原因がある。それを克服すべきでしょう。

降り止まない雨はない。
明けない夜はない。
厳しい冬に耐えれば春が来る。
人生万事が塞翁が馬。

兎に角、マイナス思考に蝕まれ、他人を平気で巻き込む様な犯罪が二度と起こらぬ事を祈るばかりです。

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October 03, 2008

清原選手の引退

1980年代半ばから日本プロ野球を代表するスターとして活躍してきたオリックスの清原和博選手が10月1日に引退試合を行いました。

PL学園に在学中、桑田真澄と共に”KKコンビ”を形成、”常勝PL”の柱石だった彼。

ドラフトでは熱望した巨人にフラれ、その巨人は早大進学を表明していた桑田を指名。清原の無念の涙が全国に放映されました。

心機一転、西武入りを決意した彼は、入団一年目から大活躍。秋山幸二選手と共に”AK砲”を形成し、大物ぶりを見せ付けます。この頃の清原は「王貞治超えを唯一達成出来る可能性のある男」とすら称されていました。1989年には史上最年少で100号本塁打達成、1992年には史上最年少で200号本塁打を達成しています。
しかし、常に三冠候補には挙げられるものの、タイトルには恵まれず、何時しか彼を「無冠の帝王」と称する人が出て来ました。

1997年からは巨人でプレイ。しかし、度重なる故障に泣かされる事になります。
そして、2006年からは故・仰木彬氏の招きで、オリックス入り。

清原選手の成績に関しては、2118安打、525本塁打、1527打点など充分に歴史的名選手と呼べるものですが、プロ入りしてから数年間の人々の期待からすれば、物足りない……と見る向きもあります。
例えば、本塁打に関しては、一度位はタイトルを獲得して欲しかったですが、1シーズン50本はおろか、40本以上を一度も記録した事がありません。

一方で、1944三振という不名誉なプロ野球記録を持っています。ただ、死球196も歴代1位で、怪我の多さも此処に原因があると見なす向きもあります。

ただ、彼が西武黄金時代の4番打者として輝いていた事は間違いありませんし、何か人を惹き付ける華のある人だった事も疑いようがありません。矢張りスーパースターだったと言えましょう。

巨人時代には”番長”などと称されていましたが、基本的には謙虚で礼儀も心得た人で、ファンへの心配りやチームメイトへの心配りを常に忘れない人でした。

だからこそ、彼を慕う多くの人々が引退セレモニーに集ったのでしょう。あのイチロー選手もその為に急遽かけつけた程です。

巨人に移って以降はしばしば故障に泣かされ、本人も不本意なところはあったでしょうが、一野球人としては幸せな幕引きを迎えられたのではないでしょうか。

今はただただ「お疲れ様でした」と言うのみです。

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