世泣き爺~イソップ寓話編「犬と肉」
あおおおんっ!
久し振りじゃのう、皆の衆。
ワシじゃよ、ワシ。
世泣き爺じゃよおおおんっ!
……と、下らない挨拶はこの位にして、今日は久々に『イソップ寓話』について触れてみようかの。
今回は「犬と肉」じゃ。
これは多くの人が一度は読んだ事があるんじゃなかろうかのう。
内容は、犬が肉を咥えたまま橋を渡っている時、ふと水面を見ると、其処に肉を咥えて自分の方を見ている犬がいた。
その犬は相手の咥えている肉が欲しく成り、思わず吠えた。
すると、犬の咥えていた肉は川に落ち、流されてしまったのじゃったーーー!!
勿論、水面に映っていたのはその犬自身の姿じゃ。
この寓話の教訓は、欲張り過ぎるとろくな目に遭わないという点においては、「鵞鳥と金の卵」と似ているが、『イソップ寓話』ではないけれど、古代ギリシャ・ローマ神話のナルシサスの物語にも似ているところがある。
ナルシサスは水面に映った自分の姿に恋してその場から動けなくなり、水仙に成ってしまった。
犬も水面に映った自分の姿を自分だと認識出来ずに、大事な肉を失った。
若しかするとこの寓話には、水面に映った自分の姿を自分の姿だと認識出来る様、常日頃から己の分をわきまえておくべしという意味も込められているのかも知れん。
人間他人の事はとやかく言う事は出来るけれど、自分の事と成ると、ついつい見落としがちになるからのう。
自分の観た自分と、他人から観た自分は違う。
勿論、他人の目ばかり気にして生きていく事など出来はしない。
しかし、人と人とが関わり合う社会で生きている以上、相手の立場に立って、相手ならどう思うかという事を考え、他人から観た自分というものを或程度客観的に見定める事が出来なくてはならぬ。
長所・短所を含めた等身大の自分を認識していれば、水仙に成る事も肉を落とす事もない、即ち自分にとって大事なものを失う事もないのじゃ。
まあ、偉そうな事を言っておるが、ワシ自身自分の事をどれだけきちんと見定めているかと成ると、かなり怪しいもんじゃが。
何れにしても、短い物語から様々な事を考えさせてくれるのが、『イソップ寓話』の凄いところじゃ。
まあ、だからこそ2500年以上も前の物語が今尚世界中で読み継がれているのじゃろうな。


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