マイケル・ジャクソン追悼
本日は先日亡くなったマイケル・ジャクソンに関して採り上げるので、予定していた「世泣き爺」は休載致します。
マイケル・ジャクソンは1958年8月29日、インディアナ州ゲーリー生まれ。
五歳にして兄弟バンドの一員と成った彼は、1966年に4人の兄達とジャクソン5を結成。
次第に評判を高め、1968年7月にモータウンと契約。1969年10月、シングル「帰って欲しいの」でメジャー・デビュー。これが全米一位の快挙。
次のシングル「ABC」は何とビートルズの「レット・イット・ビー」から首位を奪取します。
そして、彼らはデビューから4曲連続No.1という快挙を達成。
1971年、マイケルはソロとしてもデビューを飾りますが、マーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーらがニュー・ソウルと称される新たなポップ・ミュージックを生み出して行くのに影響を受け、やがてジャクソン5はモータウンと対立。
1975年、ジャクソン5はモータウンの社長令嬢と結婚していた兄ジャーメインを除いてエピック・ソニーに移籍し、ザ・ジャクソンズと改称。
1978年、マイケルはクインシー・ジョーンズのプロデュースにより、ソロ・アルバム「オフ・ザ・ウォール」を発表。
これが世界的に大ヒット。マイケルの評価を俄然高めます。
そして、1982年、クインシー・ジョーンズと再び組んでソロ・アルバム「スリラー」を発表。
全世界で累計1億400万枚(実際には6500万枚程度とする説もありますが)という史上最多売上を記録。
押しも押されぬスーパー・スターとしてその人気は世界的に爆発的なものと成ります。
1985年にはUSAforAFRICAに参加したり、大好きなビートルズの全楽曲を買い占めたり、レーガン大統領と握手した際、手袋をはめたままだった為、一部から批判を浴びたりと何かと話題を振り撒き、
1987年にアルバム「バッド」、発表。同年来日し、日本中が熱狂的なフィーバーに包まれます。
その後、1991年に「デンジャラス」、1995年に「ヒストリー」、1997年に「ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア」、2001年に「インヴィンシブル」を発表。
しかし、黄金の輝きに満ちていた1980年代に比べると、1990年代以降のマイケルは次々と困難に見舞われ、やがてそれで疲れ果てたか、2001年の「インヴィンシブル」以降、ベスト盤(新曲が含まれている物もありますが)ばかり発売され、生きながらにして過去の人と成りつつありました。
最大の困難、それは1993年に浮上した少年への性的虐待疑惑を始めとする訴訟の多さ。
マイケルの金目当てに1500以上もの訴訟が起こされたといい、これでは疲れても当然です。
多額の借金も発生し、千代田区程の広さを誇る豪邸ネヴァーランドをその返済の為に2008年11月にロスの民間企業に譲渡しています。
また、1990年代後半にはソニーとの確執が深まり、マイケルに追い討ちをかけます。
そして、50歳という若さでマイケルは亡くなってしまいました。
晩年は裁判や整形、借金ネタなど、音楽以外の事で消耗し、落ち目と囁かれたりしましたが、凝りに凝った内容故に今尚史上最高との呼び声が少なくない「スリラー」を始めとするプロモーション・ビデオの存在価値を俄然高め、ポップス界に一大変革を齎したその功績は決して消え去るものではありません。
黒人と白人の垣根を超えた存在と成った事も忘れては成らないでしょう。
それを成し得たのは、プロモーション・ビデオにおける踊りや演出効果、そして軽快なリズムと親しみ易いメロディーを持ち、踊りに適した音楽にある事は間違いありません。
ビートルズ以来、ロック&ポップス界はアーティスト志向が高まり、次々とカリスマが出現しましたが、マイケルはエンターテイナーに徹しました。
そういう意味ではエルヴィス・プレスリーと共通性がありますが、エルヴィスは踊る歌手といった感じだったのに対し、マイケルは歌うダンサーみたいなところがあり、より踊りを追求していった気がします。
また、ビートルズやジェームズ・ブラウンなど偉大な先達から多くの影響を受けつつも、常にマイケルならではの個性に溢れているところも、彼の非凡なところでしょう。
私は、どちらかと言えばアーティスト系信奉者であり、あまりマイケルの熱心なファンではありませんでした。
また、同じ時期にプロモーション・ビデオで一世を風靡したミュージシャンではデュランデュランの方がマイケルより好きでしたが、それでも彼のナンバーを即座に何曲も思い出す事が出来ます。
「スリラー」「今夜はビート・イット」「ビリー・ジーン」「バッド」「ロック・ウィズ・ユー」……。
昔は、マイケルの曲なんて映像とセットでなければ価値がない、などと思っていましたが、今でもこうして私の印象に残っているという事は、それだけ彼の個性が光り輝いていたという事の証でもあります。
亡くなってみて、改めて彼が史上最高のミュージシャンの一人であり、「キング・オブ・ポップ」という呼称も大袈裟ではないという事に気付きました。
慎んでご冥福をお祈り致します。
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